
1994年1月 野田ゆたか自選俳句

出勤の総てが句材初電車
警備終へ終に授かる残り福
指揮官のよくとほる声初視閲
ふる里の里芋入れて雑煮鍋
脚二本すらりと伸びて春隣
酒米の研がるる白さ寒造
去年今年時計の針は休みなく
<この月の出来事>アメリカ・月探査機「クレメンタイン」打ち上げ。

1994年2月 野田ゆたか自選俳句

梅の香や家路の夜風やはらかし
雪解光集めて湖の碧さかな
あまつさえ川風受けて野火走る
進退の迷ひは春とともに失せ
来ると言ふ人のまだ来ず春寒し
自分史の転機いよいよ梅の花
参道に紅の濃淡競ふ梅
<この月の出来事>ロケット1号機、種子島宇宙センターから打ち上げ。

1994年3月 野田ゆたか自選俳句

ITの社会つくづく目刺焼く
イヤホンは高校野球青き踏む
ものの芽の一歩も退かぬ出の構
よき目覚め暁の雨暖かし
ランナーのラストスパート東風に乗る
一団の子らの歓声水ぬるむ
園児らの目線で話す春野かな
<この月の出来事>衆院選の小選挙区比例代表並立制導入。

1994年4月 野田ゆたか自選俳句

著莪の花お寺は人の寄るところ
菜の花や童の列が伸び縮み
窓際の花の明りを後任に
今日中に脱稿せねば桜散る
春月や駅裏の路地知りつくし
花冷に備へしシャツを脱ぐ日和
夏蜜柑ざくと心を曝されし
<この月の出来事>フジテレビ系刑事ドラマ『古畑任三郎』放送開始。

1994年5月 野田ゆたか自選俳句

牡丹の散りて一期を惜みけり
分水の一つを受けて谷若葉
麦秋や学帽の黄が黄に沈む
啓発に美学を加え五月かな
新茶旗白抜き文字を駅頭に
吾が任地馴れて眩しき新樹かな
指呼の間をくまなく照らし若葉光
<この月の出来事>英仏海峡トンネルが開通。

1994年6月 野田ゆたか自選俳句

救助者の濡れ手に戻る夏帽子
二行より進まぬ調書蚊を叩く
あめんぼう教え乞おうか処世術
いづみ川夏木が星をゑがき初める
この鰹室戸沖より揚がりきし
そり橋を行き交ふ傘や七変化
バスを待つ園児のゑくぼ山桜桃
<この月の出来事>マイクロソフトがMS-DOSの販売中止を発表。

1994年7月 野田ゆたか自選俳句

沿革誌改元の項紙魚はしる
仮眠室開かずの窓を開け涼し
楽勝と言ふは嘘なり玉の汗
制服を脱ぎて夏やせ隠れなき
コーヒーの氷ちりりと笑ひけり
この道を折れては滝に直進す
忍寄る気配晩夏を色濃にす
<この月の出来事>スペースシャトル・日本人女性初の宇宙飛行士向井千秋さんが搭乗。

1994年8月 野田ゆたか自選俳句

慶弔の重なりしこと秋暑し
朝顔の蕾ふくらむ夜が来し
さつちやんはいつか二十歳に赤のまま
みそ萩や一番星を引き寄する
一葉して落つるも己が影の上
雨止んで踊音頭の始まれる
瓜の馬坊の姉さを連れ戻れ
<この月の出来事>ディスコジュリアナ東京が閉店。

1994年9月 野田ゆたか自選俳句

バス便は一日二便吾亦紅
いつまでも秋燈ともし男子寮
うたた寝も許され夫の机辺夜長
コスモスが好きで佇む法の庭
そよ風に千草のゆるる風の道
バス発ちて貸切りとなる花野かな
ふと草の香の匂ひくる初月夜
<この月の出来事>関西国際空港開港。

1994年10月 野田ゆたか自選俳句

おーい雲我も旅人峡紅葉
この通草ジャンプをすれば届くはず
ゴム長を履けり無花果もぐ朝
しのび寄る気配の風は秋なりし
づかと来て税吏立入る稲田かな
ワープロの移動に始む冬用意
蕎麦湯にも信濃の国の地の風味
<この月の出来事>大江健三郎にノーベル文学賞受賞決定。

1994年11月 野田ゆたか自選俳句

この煙落葉焚くらし町役場
ご三尊障子明りの小春にて
しぐれては五条小橋の暮れ早し
すぐ晴れて片時雨とも日照雨とも
客引の駅裏の娘に冬が来る
ドアのノブ磨きあげては神迎
とつとつと受章者の弁文化の日
<この月の出来事>貴乃花が第65代横綱に昇進。

1994年12月 野田ゆたか自選俳句

ばりばりと図面を広ぐ寒灯下
餅を搗く十臼を遂に納めけり
この嚏風邪とも噂とも違ふ
しがらみの解けて枯木の自然体
スケジュールばんばんこなし街師走
ふぐ鍋や貧しきときの妻傍に
納会の鮮魚一気に糶られ行く
<この月の出来事>清水寺・平等院など世界遺産に登録。
